お題「最近読んでるもの」
今週のお題「最近読んでるもの」
最近、野鳥図鑑を買いまして。特に鳥が好きだとかそういうわけでもないんですけど、見てると面白いです。
街の中で見かける鳥が、あっ、あの鳥だ!ってわかった時だとか。まぁよく見かけるのは鳩とかスズメ、カラスばっかりなんですけど…たまーに変わった鳥がいたりすることもあります。
見慣れた世界でも、視点を変えると面白い
みなさんがいつも見ている当たり前の日常の世界、なんの変わり映えもなく面白くないように思えるかもしれませんが、ちょっと視点を変えてみると少し世界の色が変わって見えます。
たとえば花でも草でも、自販機でもいい。変わった標識や看板がないか気にしてみてもいいかもしれません。
そうすることで、自分の見ている世界の彩りがほんの少しでも変わると、毎日生活しているのがほんの少し楽しくなるかもしれません。
『なにものか』になるとはなんなのか
唐突な話ではありますが、皆さんは『なにものか』になりたいと思う、思ったことはありますか。
おそらく思春期にもっとも考えがちなことではあるかと思うのですが、大人になっても『なにものか』になりたいと思う人はいるのではないかと思います。なぜなら自分がそうだからです。
そこで今回はこの『なにものか』になるとはなんなのか、について考えてみたいと思います。
なにものかとは?
そもそもこの問題を考えるときに、『なにものか』というのはいったいどういうものなのかを定義する必要があるかと思います。
人によってそれぞれだとは思いますが、職業かもしれませんし、地位かもしれません。ただ、こういう人間になりたい!という具体的な目標がある場合は、それはおそらく『なにものか』という抽象的な言葉では表現しないと考えます。
つまり身もふたもない言い方をすると、『なにものか』というのは特定の職業や地位、人間性などと言った具体的なものではないのです。おそらくは。
それじゃあなんなのか。
個人的な考えではありますが、自身もしくは周囲が自信を持って言える『なにか』を持っているのが『なにものか』なのだと思います。
周囲から認められるなにか
一番わかりやすいなにかは、『親』です。これには賛否両論があるかもしれませんが、どういう親であってもこどもにとっては親は唯一の存在です。
そしてこれは周囲からも認められるなにかです。◯◯さんは◯◯ちゃんの親、と認識されることで、その人は◯◯ちゃんの親という立ち位置を得られます。
ただの人ではなく、そうした共通認識が持たれるのです。
ちなみに、人は初めは◯◯さんの娘、息子といった『なにものか』して生きていくのだと思います。しかしやがて親が亡くなったとき、それではなくなってしまうのです。
あとは名家の生まれであるとか、マイナスの面で言うのであれば犯罪を犯したしまった人も『なにものか』ではあるのかもしれません。
自身で定義するなにか
では子どもがいない人や、名家の生まれではない人、犯罪者ではない人は永遠になにものにもなれないのでしょうか。答えはノーです。
結論から言うと、人間誰一人としてまったくおなじ人は存在しません。だから、あなたもわたしも生まれた時点ですでに『なにものか』なのです。
わたしの話をするならば、絵を描くのが好き、でもそこまでうまくもない。文章を書くのが好き。ゲームが好きだけど、それで食べていけるほどではない。
手先が不器用で料理も苦手、家事も苦手。おしゃれは嫌いじゃないけれどそこまでセンスがあるわけじゃない。お酒を飲むのが好き…などなど、良いところも悪いところも、書ききれないほどに存在します。
それが自分という『なにものか』なのだと、わたしはそう思っています。
それでも、なにものかになりたい
そうは思っても時折やってくる、『なにものか』になりたい願望。ある意味それが人生の目標と考えて生きてもいいのではないでしょうか。
結果的に自分が望む『なにものか』になれなかったとしても、『なにものか』になろうとあがいた人生を歩むことはできます。
もしかしたら死ぬ瞬間に、自分は『なにもの』にもなれなかった、と思うかもしれません。でもそれは最後の点の話であって、そこまでつながってきた線はまっすぐではないかもしれません。
『なにものか』になろうともがいて生きる、そういう『なにものか』の姿があってもいいのではないかと思います。
夏の怪談。ゾッとしたけれど、しんみりした話
今週のお題「ゾッとした話」ということで、今回ははてなさんのお題で記事を書いていこうかと思います。夏本番ですし、怪談話まっさかりのシーズンですしね。
最初にことわっておきますが、わたしには霊感というものは一切ありません。そんな私が20代のころに体験した、ゾッとしたけれど少ししんみりした話をさせてください。
わたしが小学生に上がる前に亡くなった祖父
わたしはそれはもう祖父に懐いており、よく祖父の膝のうえに乗って甘えたり、大好きな食パンを一緒に食べていたことを覚えています。
祖父は寡黙で、どちらかというと怖い人だったらしいのですがわたしに対してはそんなことはなく、甘やかしてくれた思い出しかありません。
そんな祖父でしたが、わたしに勉強机とランドセルを買ってくれて、もうすぐ小学生!というタイミングで亡くなってしまいました。
当時のわたしはおそらくまだ『死』という概念を理解していませんでしたが、祖父にもう会えないのだということはぼんやりと分かっていたように思います。
ある日突然
それから小学、中学、高校、大学…とさまざまなことはありましたが、総じてすさんだ生活をしていたようには思います。
思春期の悩みであったり、親への反抗期であったり。
わたしがある日部屋でひとりでゲームをしていると、急にラジカセから音楽が鳴りはじめたのです。それも、よくわからない昔の曲のようでした。
音楽は10秒ほどで止まったのですが、あまりにびっくりしたわたしはラジカセの様子を見に行きました。誰も触っていないラジカセがひとりでに鳴ったことで、当時のわたしは心臓バクバクだったのです。
ありえない
ラジカセを持ったりいろいろ触っているうちに、とんでもないことに気づきます。
電池が入っていないのです。
そもそも勝手にラジカセが鳴りはじめたことでさえおかしいというのに、電池が入っていないなんて、そんなことは絶対にありえません。
しかしそのとき、わたしはあることを思い出しました。
このラジカセは、祖父の家からもらってきたものであったこと。
はっきりとそうだとは言えないのですが、ひょっとしたら祖父が会いにきてくれたんだろうか。自分に都合のいい解釈だったとしても、わたしはなんだかしんみりとした気持ちになりました。
その後はというと
その後、そのラジカセが勝手に鳴ることはありませんでした。電池を入れて動かしたこともありましたが、そもそも壊れていたのか再生すらできませんでした。
ひょっとしたら、単純に心霊現象だったのかもしれません。でもわたしは、祖父が会いにきてくれたのではないかと、月日がたったいまでもそう思っています。
猫を飼うことで得られる3つのすごい効果
みなさん、猫はお好きですか?わたしは大好きです。
我が家には一匹の茶トラの男の子がいます。彼は上品に水を飲み、ご飯をもりもりと食べ、ニャルソックに励み、わたしの夫(子分だと思っている)への日々の指導を欠かしません。
もう10歳と高齢に差し掛かっているため活動はそこまで活発ではないものの、愛くるしい表情やしぐさを見ているとどんな疲れも吹っ飛んでしまいます。
今回はそんな猫と暮らすわたしが考える、猫を飼うことで得られる3つのすごい効果について説明していきたいと思います。
(1)何より癒やされる
猫を飼うことによって得られるすごい効果の一つ目は、ずばり『癒やされること』です。
仕事で嫌なことがあって帰宅した時も、猫の鳴き声、表情、しぐさ…そのすべてを見ていると、すっかり忘れることができるのです。
実際、猫のゴロゴロ音にはリラックス効果があるとされており、なんとセロトニンの分泌にも関係しているとのこと。
ストレス満載の社会で生きているわれわれですが、猫だけはずっと変わらずそこにいてくれる。そんな姿にとても癒やされるのです。
(2)家の中が明るくなる
猫がいることで、家の中が明るくなります。わが家はそれまでも楽しく暮らしていましたが、猫をお迎えしたことによってさらに楽しい家庭になりました。
猫がちょっとした行動をしただけで、「見て見て!」と会話が生まれます。最高にかわいいポーズや表情をしているときにはそっと見守ったり。
何もしなくても、そこにいるだけで家族のみんなが笑顔に。
(3)かわいい
最後はもうこれしかありません。とにかくかわいい。それに尽きます。
もう、何をしていてもかわいいんですよね。顔がかわいい。体がかわいい。鳴き声がかわいい。しぐさがかわいい。動作がかわいい。言い出すときりがありません。
一説によると、猫の顔は『baby schema(ベビースキーマ)』と呼ばれる顔の形態が関係しているそうです。母性が感じられる特徴なんだとか。
まとめ
猫を飼うことで得られる3つのすごい効果についてでした。
- 何より癒やされる
- 家の中が明るくなる
- かわいい
これらがわたしの考える、猫を飼うことで得られる3つのすごい効果です。もちろん、それ以外にもたくさんのものを猫からもらっているなあ、とも思います。
生き物を飼う、しいては新しい家族を迎えるということはきれいごとだけではなく、嫌なことだったりマイナスの面がまったくないわけではありません。
それでもそういった負の面をはるかにこえるほど、猫はたくさんのものを人間に与えてくれます。そんな猫のことが、わたしは本当に大好きです。
太閤立志伝VDXって何?未プレイ者に特におすすめしたい
Nintendo Switchで発売された『太閤立志伝VDX』。
私は発売日から数日がたったころに買ってみようかな、という気持ちになって以来、地元の量販店に毎日のように通いました。しかしなかなか入荷をされなかったためヨドバシカメラの通販サイトで入荷された際に購入し、その後ほぼ毎日プレイして過ごしています。
元々原作+α版(PC/PS2/PSP)をプレイしていない立場から見て、このソフトがどのくらい面白いのか、おすすめなのかという観点に着目してこの記事を書いてみようかと思います。
自由度が本当に高い!
恐らくプレイしたことがない方は自分と同じように想像がつかないかと思います。自分は現在30代中盤の女性ゲーマーで、自由度が高い≒オープンワールド≒The Elder ScrollsシリーズやFalloutなどを想像する方が多いのではないかと思います。
もちろんそれ以前からゲーム、特にPCゲームに造脂が深かった方にとってはおそらくこの限りではありません。しかしその当時、例えば中学生や高校生だった方でそのような環境などが整っていた方がどれほどいたのだろうか、と考えるとおそらくそこまでではないと思うのです。
そういう立ち位置の方からすると、例えばこのゲームに興味を持って検索をしたとしても、出てくる画像は『まったくおもしろそうに見えない画像』しかないのです。これは私がこのゲームをおとしめたくて書いているわけではないのですが、自分もこのゲームに興味を持っていろいろ調べた時、出てきた実際のゲーム画面を見た時に素直に感じた感想です。
なのでこのゲームを評価している方でも、「昔のゲームだから思い出補正はある」と話している。それはおそらく半分は正直な感想であり、もう半分は「ゲーム性はおもしろいのだけれど、やはり見栄えがどうしても現在では受け入れられがたい」という気持ちでそのように評価しているのではないかな、と思いました。
実際、原作を遊んでいない自分が遊んでみての率直な感想として、「当時こんなに自由度が高いゲームがあったのか!」という感動です。豊臣秀吉主人公で遊んだとして、頑張って『本能寺の変』が起きるようにさまざまなアプローチ(おそらくまったくの攻略情報がないと非常にむずかしい)を起こして遊ぶというのも、ある意味一つの遊び方。
そして、『本能寺の変』が起こらないから、自ら謀反を起こして全国統一を行うという遊び方。もっと言うなら、織田家から離れてもいいし、言葉通り何をしてもいい。そこらを歩いていた浪人などを片っ端から切る辻斬りプレイ、なんていうものもありなのです。
The Elder Scrollsシリーズといった近年のオープンワールドゲーム、アクションRPGではないので、わかりにくい部分が大きいのだと思います。この『太閤立志伝』シリーズは、シミュレーションゲームとRPGゲームの要素を合体させた『リコエイションゲーム』と自らジャンルを名乗っています。
歴史に興味がある方はもちろん、ない方も遊んでみてほしい!
私はもともと日本史、特に幕末史や戦国史に興味があり、いろいろな創作物(メジャー所で言うと燃えよ剣、関ヶ原、国盗り物語など)を読み漁っていたこともあり、このジャンルに親しみ深い立ち位置として『太閤立志伝』を遊んでいます。
もし歴史に親しみを持ちやすい立場にある方であれば、ぜひこのゲームを遊んでみてほしい!と思います。なぜかと言いますと、このゲームは大名や武士はもちろんのこと、茶人や商人など幅広い登場人物がいて、プレイアブル(主人公として遊ぶことが可能)なキャラクター数は総勢960名にも及ぶのです。
おそらく普通に遊んでいるだけでは、すべての人物に会うことはできないでしょう。しかし自分が見知った、愛着のある人物が普通に生活している世界と考えると、魅力を感じてもらえるのではないかと思います。
そして歴史に特に興味がない、なかった方にも遊んでみてほしいなぁと思います。今の日本があるのは当然ながら昔日本に生きていた方々がさまざまな歴史を紡いできた結果なのです。私が今をこうして生きているように、昔の戦国武将もご飯を食べて、寝て、合戦などをしてきた。そういう歴史の積み重ねがあって今があると思っています。
面倒くさいこともこれでもかというほどリアルに再現されているのがこのゲームのいいところです。豊臣秀吉であれば、中間管理職、城主としての苦しみもプレイしていれば味わえます。
実際に生きていた人が何を思っていて、何を考えていたのかは今の時点では残されたものから読み取るしかありません。それを読み取った上で、その人物の人生をなぞなえて歩むことができる。これもゲームのいい点なのではないかと思うのです。
まとめ
とにかく、古参プレイヤーではないのですが、遊んだことがない方にもぜひ『太閤立志伝VDX』で遊んでほしい!という気持ちだけでこれを書きました。
みんなで遊んで、そして『太閤立志伝6』の発売を心待ちにしましょう!
入浴は週一でもいいからするべき理由3つ。シャワー派の方は要注意!
久しぶりの更新になってしまいました。ここ数日、いや数カ月間は忙しく、帰ってきてなんとかご飯を食べて、シャワーを浴びて眠る生活の繰り返し。
「まだまだ頑張れる!だいじょうぶ!」と思っていた矢先、ものすごい首と肩の痛みと頭痛、そして仕事中のめまいに襲われ…。
「疲れているのかな」と休日に寝込んでみるも、まったく改善する様子がなく、「これはまずい」と思い先日病院に行ってきました。
検査や触診の結果、血液検査やレントゲンに異常なし、リンパも腫れておらず、やはり異常に首と肩が凝っているので、頭痛もめまいもそれが原因ではないかとのこと。
筋肉の凝りをほぐす薬を処方されましたが、「できればお風呂につかったり、ストレッチをして、薬に頼りすぎないで」と医師に言われたので、浴槽にお湯を張ることに。
ちょっといい入浴剤を入れて長めのお風呂タイムを取ったところ、ほんの少しではありますが首や肩の痛みが軽くなり、現在ではできるだけ湯船につかるようにしています。
今回は、私と同じようにシャワー派の方に警鐘を鳴らすという意味で、入浴は週一でもいいからするべき理由をご紹介したいと思います。
疲労回復、肩こり・腰痛の緩和ができる
まずはこちら。私も身をもって体験しましたが、肩こりや腰痛がひどくなると、本当に信じられないくらい頭が痛くなったり、めまいがしたりします。
そんな肩こり、腰痛ですが、シャワーを浴びるだけでは体が温まらないので、どんどん痛みは増す一方。それに伴い、疲労もたまっていきます。
若い方であれば問題ないかもしれませんが、30代もなかばになると、この疲労と肩こり、腰痛の蓄積が本当につらい…。
なので、疲労回復、肩こり・腰痛の緩和のためにも入浴するべきです。
リラックス効果が期待できる
シャワーはリフレッシュ効果は期待できますが、リラックス効果はそこまで期待できません。ゆったりとした時間が過ごせないですし、体が温まらないからです。
なので、仕事や学校、そのほかの用事などで疲れた場合はとくに、寝る前にゆっくりとお風呂に入ることで、リラックスして入眠しやすい状態に移行できます。
お気に入りの入浴剤を入れてみたり、好きな音楽を流して過ごすことで、ますますリラックス効果アップが期待できます。
お肌の調子も良くなる
さらに、入浴することで、お肌の調子が良くなる効果もあります。
体温が上がることによって血流が改善され、新陳代謝が上がるため、シャワーだけで済ませた時に比べて格段にお肌の調子が良くなります。
半身浴をすればさらに肌の調子が整う上、ダイエット効果もあるので、時間があるときにはぜひ。
まとめ
入浴は週一でもいいからするべき理由は
- 疲労回復、肩こり・腰痛に効く
- リラックスして、ぐっすりと眠ることができる
- お肌の調子もアップ
これらの3つが主なものです。
体を大切にいたわって、いつまでも健康に過ごしていきたいですね!
零シリーズの魅力を語りたい。祝!リマスター発売!
私生活が忙しかったりなどの理由があって久しぶりの投稿になってしまいましたが、今後もブログは続けていきたい所存です。
そして、すっかり寒くなり、時期的にはどうなんだろう…とツッコミたいタイミングで発売された、和風ホラーゲームの金字塔『零シリーズ』の最新作のリマスター、『零~濡鴉ノ巫女~』。
もともとはWiiUで発売された作品で、自分も当時、これをプレイするために本体を購入しました。WiiUと言えばゲームパッド。
その特徴を生かし、ゲームパッドを射影機(簡単に言うと心霊にダメージを与えられるカメラみたいなもの)に見立ててのプレイ感が面白かったように記憶しています。
さて、そんな作品を移植して、どうなるのだろうか…と少し心配していましたが、きゆうに終わりました。自分はNintendo Switch版を購入しましたが、特に問題なく、楽しくプレイしています。
そこで今回は、すべてのシリーズを遊んできた私が、零シリーズの魅力について語っていきたいと思います。
ホラーとエロスの絶妙なバランス
ホラーとエロスは切っても切り離せない関係である、と私は考えています。
もちろん、絶対必要!という訳ではありませんが、エロティックなシーンがあると、その後の恐怖感が一気に際立つと思うのです。
そして、零の主人公。毎回、「そんな装備で大丈夫か?」と確認したくなるような薄着で廃虚にやってきます(迷い込んでしまったものもあるけれど)。
しかし、これは、「エロさでそれ目的のユーザーを増やしたい」だとかではなく、恐怖を引き立たせるため、といった目的も兼ねているのだと思います(いや、違うかもしれませんが…何せあのDOAのテクモなので…)。
毎回ポイントを使って新コスチュームを解禁することができ、そこでは水着などもあるものの、それはあくまでおまけ要素、やりこみ要素の範囲なので触れません。
基本的には零の主人公の服装は、そこまで高いと言えるほどのものではなく、なんともきわどいラインを保ったデザインです。
そこがさらにエロさを引き立たせているのです。全部が丸見えよりも、見えないところがあった方が想像がかき立てられます。
さらに、テクモが得意の美少女の造形もばっちり。初期はさすがにマシンパワーの関係で今になって見ると厳しいかもしれませんが、最新作ではさまざまな属性の美少女が。
渋い男性キャラクターも登場していますので、そちらにもご注目。
和風ホラー特有のじわじわとした恐怖感が素晴らしい
このゲームは『幽霊が現れるまでの方が怖い』ゲーム、と個人的に思っています。
幽霊が現れると、射影機を構え、フェイタル(クリティカルのようなもの。フェイタルが撮れるとコンボがつながる)を狙うので、どうしても『ゲーム感』が強くなるため。
逆に言えば、純粋なゲーム性を見た時にもとても面白い作品です。慣れてくると、フェイタルでコンボをつなげる爽快感が味わえるでしょう。
幽霊が現れる前、暗い和室を、床をきしませながら歩いている時…懐中電灯の明かりによって生まれる影に、「ヒッ」となってしまったり。
和室や日本家屋の雰囲気もよく再現されていて、ほこりっぽさや、すえたにおいが伝わってきそうなほどです。そこを歩いているだけで、じわじわとした恐怖感が味わえます。
そして賛否両論がありますが、このゲーム、基本的に移動速度が遅いです。さらに、扉の開け閉めもわざとゆっくり行われるように作られています。
そのもどかしさが、じわじわとした恐怖感をさらに強めている、と私は思います。
毎回お約束、儀式失敗から始まるストーリーの安心感
毎回、もの悲しいストーリーで感動してしまうのですが、身もふたもない言い方をしてしまうと、『儀式の内容が変わっているだけ』とも言えます。
こういう言い方をするとけなしたいのかと誤解されそうですが、そうではありません。
『変わらない良さがある』ということを言いたいのです。
そして、毎回パターンが決まっていると分かってはいても、巫女の置かれたつらい境遇に感情移入をしてしまい、エンディングでは号泣。
この安心感も、零シリーズならではの魅力だと思っています。
最新作は、未経験の方にも遊んでみてほしい
そして今回の最新作、『零~濡鴉ノ巫女~』のリマスター版ですが、シリーズ未経験の方にもぜひ遊んでみてほしいです。
過去作とのつながりはあるのですが、プレイしていなくてもまったく支障はありません。
そして、リマスターで画質も向上しており、最近のゲームにも引けを取らないほど。ゲームの読み込み時間などもほぼなく、快適に遊べます。
内容はきちんといつもの零なので安心の怖さですし、女の子もとてもかわいい。
さまざまな追加要素もありますし、対応機種も多く、さらに価格も最近のゲームとしては安価です。
興味を持った方は、ぜひ手に取ってみてほしいな…と思います。
そして、テクモさん、ぜひ新作をお願いいたします。