『なにものか』になるとはなんなのか
唐突な話ではありますが、皆さんは『なにものか』になりたいと思う、思ったことはありますか。
おそらく思春期にもっとも考えがちなことではあるかと思うのですが、大人になっても『なにものか』になりたいと思う人はいるのではないかと思います。なぜなら自分がそうだからです。
そこで今回はこの『なにものか』になるとはなんなのか、について考えてみたいと思います。
なにものかとは?
そもそもこの問題を考えるときに、『なにものか』というのはいったいどういうものなのかを定義する必要があるかと思います。
人によってそれぞれだとは思いますが、職業かもしれませんし、地位かもしれません。ただ、こういう人間になりたい!という具体的な目標がある場合は、それはおそらく『なにものか』という抽象的な言葉では表現しないと考えます。
つまり身もふたもない言い方をすると、『なにものか』というのは特定の職業や地位、人間性などと言った具体的なものではないのです。おそらくは。
それじゃあなんなのか。
個人的な考えではありますが、自身もしくは周囲が自信を持って言える『なにか』を持っているのが『なにものか』なのだと思います。
周囲から認められるなにか
一番わかりやすいなにかは、『親』です。これには賛否両論があるかもしれませんが、どういう親であってもこどもにとっては親は唯一の存在です。
そしてこれは周囲からも認められるなにかです。◯◯さんは◯◯ちゃんの親、と認識されることで、その人は◯◯ちゃんの親という立ち位置を得られます。
ただの人ではなく、そうした共通認識が持たれるのです。
ちなみに、人は初めは◯◯さんの娘、息子といった『なにものか』して生きていくのだと思います。しかしやがて親が亡くなったとき、それではなくなってしまうのです。
あとは名家の生まれであるとか、マイナスの面で言うのであれば犯罪を犯したしまった人も『なにものか』ではあるのかもしれません。
自身で定義するなにか
では子どもがいない人や、名家の生まれではない人、犯罪者ではない人は永遠になにものにもなれないのでしょうか。答えはノーです。
結論から言うと、人間誰一人としてまったくおなじ人は存在しません。だから、あなたもわたしも生まれた時点ですでに『なにものか』なのです。
わたしの話をするならば、絵を描くのが好き、でもそこまでうまくもない。文章を書くのが好き。ゲームが好きだけど、それで食べていけるほどではない。
手先が不器用で料理も苦手、家事も苦手。おしゃれは嫌いじゃないけれどそこまでセンスがあるわけじゃない。お酒を飲むのが好き…などなど、良いところも悪いところも、書ききれないほどに存在します。
それが自分という『なにものか』なのだと、わたしはそう思っています。
それでも、なにものかになりたい
そうは思っても時折やってくる、『なにものか』になりたい願望。ある意味それが人生の目標と考えて生きてもいいのではないでしょうか。
結果的に自分が望む『なにものか』になれなかったとしても、『なにものか』になろうとあがいた人生を歩むことはできます。
もしかしたら死ぬ瞬間に、自分は『なにもの』にもなれなかった、と思うかもしれません。でもそれは最後の点の話であって、そこまでつながってきた線はまっすぐではないかもしれません。
『なにものか』になろうともがいて生きる、そういう『なにものか』の姿があってもいいのではないかと思います。