今週のお題は「サボる」せっかくはてなブログを始めたので、お題記事を書いてみよう
今週のお題「サボる」
いろいろなブログサービスを比較、吟味した上ではてなさんとであうことができたので、せっかくだからお題の記事を書いてみようかと思います。
今回は個人的に親近感があふれるお題となっていてとっても嬉しいです。
「サボる」
私のサボる歴を思い返してみます。
学生時代から始まり、私のサボり遍歴もさまざまな変化をしてきました。
改めて振り返ってみると、サボり一つにもその人その人の人生や生きざまのようなものが現れるんだなぁ、と感慨深くなります。
学生編
学生の頃はほどよくサボっていました。
たとえばテストはあまり興味がない学科では赤点ギリギリ取れる程度しか勉強しなかったり、保健室に入り浸ってる感じの生徒でした。
保健室は心のオアシス。もちろん養護教諭は「ほどほどにしなさいよ」ときちんと注意してくれましたし、ある程度の節度は守っていました。
よく考えるとこのころはサボらなければよかったんじゃないかとも思うんですが、過ぎたことは後悔しても仕方がないです。
社会人編
社会に出てから、うまくサボれなくなった気がします。
仕事で悩みを相談するとよく言われるのが、「ほどほどに手を抜かないと」、「適度にサボらなきゃ疲れちゃうよ」といった言葉。
しかし、サボれるほど器用ではないというのか、手の抜き方がちょっとわからないというのか、いつも全力で頑張ってしまう。
そしてある日プッツンと切れる…というのがありました。
サボりたいけど、どうにもそれが難しいんだよな…といつも思っています。今でも。
主婦編
結婚してからも、家事はしばらくは全力でやっていました。
朝はきちんと起きて夫の弁当を作り、休みの日はできるだけしっかりと掃除や洗濯をして家の中をピカピカに。料理はもともと夫が好きで率先してやっていましたが、私も週に数回は夫のリクエストを受けて晩御飯を作る。
ところが、共働きだったので、いつしか手一杯に。
もうだめだー、と思ってしばらくダウン。布団の中で「共働き 家事 つらい」みたいなキーワードでひたすらググって過ごしました。
すると、「掃除はある程度サボっても死ぬことはない」みたいな記事を読んで、たしかに…と納得。
そして夫も「やれる方がやればいいんだから、無理しなくてもいい」という考えの持ち主だったため、申し訳ないなぁと思いながらもしんどい時は無理しないように。
それからは家事は適度にサボって暮らしています。そこまで汚くもないし、へーきへーき。
よっぽどの汚部屋で火災の危険性があるなら考え物ですが。
そもそも、なぜサボることに罪悪感を覚えるのか
私の場合は人がサボってても、「いいなぁ」とは思うのですが、「許せない!」まではいかないです。
恐らくなんですが、自己肯定感が低めが故に、自分はサボるなんて許されない、真面目でいなきゃ、みたいに考えてしまうのかもしれないです。
冷静に考えるとそんな訳ないんですけどね。
必要な「サボり」もある
でも、「サボる」には必要なものと必要でないものがあるのではないかと思います。
私はそれぞれ二つの条件を満たすかどうかでサボるかどうかを考えています。
必要なサボり
- これ以上無理したら心身いずれか、もしくは両方がおかしくなってしまう!という時
- その時にサボっても、何とかなる状況の時
必要でないサボり
- サボるかサボらないかどうしようか迷う時
- その時何とかしないと後でどうにもならなくなる可能性がある時
これはもちろん私の判断基準です。
基本的には、人に迷惑を掛けたりしなければいいんじゃないかな、と思います。
とは言っても最終的には自分の心身を優先して考えます。申し訳ないけど、自分のことは自分にしか分からないし。
まとめ
サボることは必ずしも悪ではないです。
サボった方がいい時もあるんじゃないかと思います。
なので、怒られない程度にじょうずにサボって生きていきたいですね!